介護にまつわるエトセトラ

看護師・主任介護支援専門員・FP3級のつぶやき

介護の始まり

親の生活、心配なこと出てきたら何をするべきだったんだろうか

~介護のこと考える~

まず父の介護の始まり

 自分の親はまだまだ元気だと思っていたし、そう思っている人は多いと思います。

 私は京都出身で今住んでいるのは関東。遠く離れている事を理由にほとんど帰っていませんでした。

 

 看護師・主任介護支援専門員の資格を持っていて、いわゆる病気と介護の資格で仕事をしています。

学費を出してもらって、看護師になったのに・・・親不孝ですよね・・・

親は、自分たちの近くで孫の面倒をみて、私はずっと京都の病院で夜勤して看護師を続けると思っていたようなんですよね・・・

それが縁あって、東京・埼玉の生活

子供が小さいときはともかく、大きくなって一緒に帰省することがなくなると、私も帰らなくなって。

決して不仲ではなく、時間・お金いろいろ面倒になり、まあ便りのないのは元気な証拠と思っていました。

 父が70歳の誕生日に脳出血で倒れました。幸い命は助かりましたが、若干の麻痺が残りました。そのとき私は、38歳。

子供は二人とも小学生。サッカーに塾の習い事。

子育てと仕事に必死。夫は単身赴任。

当時どうやって毎日を乗り切ったか記憶にないくらい忙しかった。

急いで京都に駆けつけて、数日で自宅に戻り私の日常が戻ってきた。

その後、父はリハビリを経て、要支援の認定を受けて、いやいやデイサービスでハンチにリハビリをしていた。

母は、仕事をしながら介護もしていたが、そのときの父は、そこまで介護が必要な状態ではなかったので、安心していたのもある。

そもそも、母に、「帰ろうか?」といっても、忙しいだろうから大丈夫という人だったし、実際、何度もそう言われた。そのとき、帰ってきてといわれてもきっと難しかっただろうし、悩んだはずで、ほっとしたのを覚えている。

 今思えば、親不孝だな~

これが長い父と母の介護生活の始まりだった。

                         

                        おじいさん